星よ、導きたまえ

ハモンド&スカル夫妻のLotR注釈本(p101)に、ギルドール一行によって歌われるエルベレス賛歌と、カトリック信徒に親しまれているという聖母マリアの賛美歌(stella maris 海の星)が似ているという指摘がある。(*1)

まずエレベレス賛歌の原文を引用。

Snow-white! Snow-white! O Lady clear !
O Queen beyond the Western Sea !
O Light to us that wander here
Amid the world of woven trees !

O Elbereth ! Gilthoniel !
We still remember, we who dwell
In this far land beneath the trees,
Thy starlight on the Western Seas. 

Stella Maris の歌詞。

Hail, Queen of Heaven, the ocean star,
Guide of the wand'rer here below:
Thrown on life's surge, we claim thy care-
Save us from peril and from woe.
Mother of Christ, star of the sea,
Pray for the wanderer, pray for me.

薄明の此岸を彷徨う我らに光を与え給え、と女神的神格に祈る心情というのは、信仰の一つのパターンとしてありそうな気もするけれども、こうやって二つの詞を並べてみると、言葉使いのリズムとか、たしかに似ている気がする。

エルベレス=ヴァルダについてはヴァラクウェンタに次のような記述もある。

「そしてヴァルダは、もしマンウェが共にあれば、誰の耳よりもさとく、東から西まで、山々から、谷々から、そしてメルコオルによって地上に造られた暗黒の場所から呼ぶ声を聞くことができる。この世界に住まうすべての大いなる者たちの中でも、エルフたちはヴァルダを最も尊崇し、敬愛している。エルベレスの名でかの女を呼び、中つ国の暗がりの中からかの女の名を呼んで訴え、星々の昇る時に、歌声を上げてその名を称揚する・・・」(「シルマリルの物語」上p31)

キリス・ウンゴルでシェロブと絶望的な戦いをするさい、サムの口から、知らないはずのエルフ語(シンダリン)が突如ペラペラと流れ出すけれども、書簡集に載ったトールキン自身による英訳によると、これらの言葉は次のような意味になるそうだ。

A Elbereth Gilthoniel
from heaven gazing-afar,
to thee I cry now in the shadow of (the fear of ) death.
O look towards me, Everwhite !

エルベレス ギルソニエル
天からはるか遠くを見通す者よ
この死の影にあって貴女に呼びかける
どうかわれを見守りたまえ 常しえに白きものよ 

これは上に引用したエルベレス賛歌とは違うので、エルフ語を知らないサムの口から、こういう祈りの言葉が飛び出すということ自体、すでに一個の奇跡が起こっているといってもよさそうだ。(*2)

エルベレスの加護を求める言葉が、あえてシンダリンでなければならない理由はよくわからないけれども、悪魔祓いの儀式で唱える聖句がラテン語であったりするのと同じで、ただの口語(西方語)よりもクラシカルなエルフ語のほうが言霊的な力が宿っているということだろうか(*3)。

*1 これを指摘しているのは Secret Fire: The Spiritual Vision of J.R.R.Tolkien by Stratford Caldecottの本。その後この本は The Power of the Ring とタイトルを変えて出ており、こちらの新版を購入したが積読中。

*2 キリスト教の宗派によっては、神がかった信者が一種のトランス状態で口にする宗教的ことば=「異言」 gift of tongues というものがあるそうで、全く無学の者が突然知らないはずの外国語で聖句を唱えたりするケースなどもあるらしいが、サムのこのエレベレス祈願はこの異言というものに近いのかもしれない。

*3 トールキンが自作の朗読をテープに吹き込むことを請われたさい、生まれて初めてテープレコーダーの前に座ったトールキンは、まず機械に潜んでいるかもしれない悪魔のエクソシズム?をするために「主の祈り」をゴート語で吹き込んだという話があったが、これもまたどこまで本気なのかわからない類の冗談ではある。

「星よ、導きたまえ」というフレーズは角川映画里見八犬伝」のキャッチコピー。
映画は未見なのだが、八犬伝には八犬士を彼岸から見守る伏姫という女神的存在がいるので、ここで導きの星となっているのもやはり伏姫という女神なのかもしれない。

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