J.R.R.TOLKIEN Artist & Illustrator を読む(2)

本書には「指輪物語」を書き進めながら、トールキンがスケッチしたオルサンクの塔やミナス・ティリス、バラド・ドュアなどの貴重な画像が掲載されており、特にオルサンクは最終的な形に決まるまで幾つかのヴァージョンがあったりして興味深いものがありますが、とりわけ目を引いたのがここに引用させてもらったダンハロウ=馬鍬砦の画像です。ダンハロウを馬鍬砦と訳したのは実は間違いだったことは教授が後になって書いた「翻訳の手引き」を読むとわかるのですが、ここではこのダンハロウのイメージの誤解について書かせてもらいたいと思います。

本書に掲載されているダンハロウの絵を見ると、つづら折りになった急な斜面を登りきった台地に出た後は、坂道の曲り角ごとに鎮座していたプーケル人の石像はなくなり、その代わりに尖った歯のような石の列が平行して伸びていて、その先のほの暗い谷間、死者の道の入り口へ向かって不気味に続いています。
この部分の原作の描写は次のようになっています。

「メリーはどこまでも続いている石の列に目を瞠りました。どれも風化して黒く、傾いているのもあれば、倒れているのもあり、ひび割れているのも、こわれているのもあります。それらはまるで老人の飢えおとろえた歯並みのように見えました…」

ところがこの箇所についている邦訳の挿絵を見ると、モアイ像のようなプーケル人の石像が台地に登りきった後も続いているので、本文で言われている歯並みのような石の列=プーケル人の石像かと思ってしまうのですが、トールキンのスケッチで明らかなように、台地に登った後は石像は消え、別の意味で不吉な石柱が続いているということがわかります。

ただし、この誤解は寺島画伯のものではなく、もとは瀬田訳の中に潜んでいるものでした。この歯並みの石の描写のすぐ後に、

「これらはいったい何だろうとかれはいぶかりながら、王がこれらの石人についてその先の暗闇にはいって行かなければいいがと思いました」とあるのですが、この「石人」という言葉にあたるのは原文では them なので、この「これら」は石像ではなく、石柱を指していたのを瀬田氏は石像がまだ続いていると勘違いし、その訳文に引きずられるようにして寺島氏があの挿絵をつけてしまったというのが私の想像です。

(映画の「王の帰還」ではあまり目立たないものの、ダンハロウのシーンでは右往左往するローハンの騎士たちの後ろにこの「尖った歯のような」石柱がしっかりと見えました。)

ダンハロウの土地の構造はテキストの文章だけではイメージがつかみにくく、もちろん私も本書でトールキンのスケッチを見てはじめてその誤解に気づいたので、とても偉そうなことを言えた義理ではありません。ただおそらくより注意深い読者はダンハロウのくだりの描写と挿絵にきっと微かな違和感を感じるはずで、本書の刊行によって原作者のイメージがわかったことですし、今後の邦訳の改版のさいには、「馬鍬砦」の名称とともに、これらの間違いが訂正されていったらベストだと思います。

(付記:引用させてもらったダンハロウの絵も最終的にはトールキンによって退けられたと本書で解説されているのですが、石柱に関する部分はほぼこの絵の通りに決定稿に生かされていると判断いたしました。)

J.R.R. Tolkien: Artist and Illustrator

J.R.R. Tolkien: Artist and Illustrator

トールキンによる『指輪物語』の図像世界(イメージ)

トールキンによる『指輪物語』の図像世界(イメージ)