The Hobbit 再読(3) ビルボの夢

Exploring J.R.R. Tolkien's The Hobbit で面白かった箇所の一つ。

ビルボたち一行がオークとワーグの襲撃から逃れ、鷲の巣で一夜を明かしたさいにビルボが見る夢の描写がある。

But all night he dreamed of his own house and wandered in his sleep into all his different rooms looking for something that he could not find nor remember what it looked like.

この夢に何か意味があるだろうか、という問題。

これはまあ、一種の mood piece というか、何かの意味というより、一種の気分、不安とか焦燥とか、そういうものを表しているんだろうくらいにしか思っていなかった。

しかし、絶壁上の鷲の巣で眠っている者が見る夢としては、どこかしらちぐはぐで、何となく気がかりな夢ではある。

本書の著者である Olsen 氏によると、この夢はビルボの内面に起こりつつある重要な変化を表しているのだという。

以下、要点だけかいつまんで訳させてもらうと、

この夢が興味を誘うのは、懐かしいわが家への逃避的な夢ではなく、満たされない願望の夢であること。
ビルボが探しているものは彼の家の部屋のどこにも見当たらない。しかも彼は自分が何を探しているのかさえわかっていない!
その探しているものが何であれ、それは袋小路屋敷にはない。…

われわれはこの夢に、冒険を続ける生活がいかにビルボを変化させつつあるか、その最初の兆候を見ることができるように思う。…
ビルボは袋小路屋敷にはない何かを探している。そしてその何かは旅の終わりになって初めて見出される何かなのだろう。…

つまりビルボはここで一種の自分探し、自己実現を模索する夢を見ているということか。
そう言われてみると、この夢は確かに精神分析の恰好なモデルケースのようなものにも思えてくる。

ビルボが数々の苦難を経験し、一種の精神的な脱皮が起こりつつある中で、その内面の葛藤がこんな夢となって現れている。
作者に本当にそういう意図があったのかどうか知るすべはないけれど、
このように解釈することで、作品中でこの夢の持っている意味というのは見事に説明されており、以後このくだりを読むさい、必ずこの解釈が念頭に浮かぶことになりそうだ。


このくだりの邦訳を見てみる。

瀬田訳「けれども一晩じゅう、わが家の夢を見て、その夢のなかで、あの部屋この部屋と歩きながら、もう忘れてしまったり、見つけられなかったりするなつかしいものを、さがしまわっていました。」

山本訳「しかしビルボは、一晩中わが家の夢を見ていました。夢の中のビルボは家中の部屋をふらふらとのぞいてまわります。なにかさがしものがあるのです。でも、どうしても見つからないし、それがどんなものなのか、憶いだすことすらできないのでした。」

瀬田訳は原文にはない「なつかしいもの」という語を入れていることで、この夢が依然として袋小路屋敷へのノスタルジーに支配されているような印象を受ける。ここは山本訳のほうが原文の意を正しく汲んでいると思う。


(追記)
「ホビットの映画を観る前に原作を読んでおくべき75の理由」というサイトを読んでいたら、
Verlyn Flieger 氏がこのビルボの夢を取り上げ、Olsen 説と全く同じことを述べているのを発見した。
Flieger 教授は夢の中でビルボが探しているのは、ずばり his old self と言い切っている。

Flieger 教授は A Question of Time という本で、フロドの見る夢を詳しく分析しており、このビルボの夢にも注目していたに違いない。
しかも Flieger 先生、この夢のくだりを読むことこそが、映画の前に原作を読むべき格別の理由であるかのようにおっしゃってますが…

A Question of Time: J.R.R. Tolkien's Road to Faerie

A Question of Time: J.R.R. Tolkien's Road to Faerie