The Legend of Sigurd and Gudrún メモ

一、オーディンはたとえその試みがすべて潰え、目をかけた人間がすべて死んだとしても、彼の遠大な計画は「最後の戦い」のためにあり、オーディンの「希望」を奪うことは出来ない。ロキによる「悪」の影響も、オーディンの計画に結果として寄与することになる。

一、ブリュンヒルドは激しく燃える一瞬の炎、情熱の化身であり、対するグズルーンは情熱を内に秘め、目的達成のために自己抑制もできる女である。トールキンブリュンヒルドよりもグズルーンのほうが性格的に興味深いとしている。

一、シグルズの死もまたオーディンの計画のうちである。なぜならシグルズは「最後の戦い」において復活し、世界蛇を倒す役割を担っているからだ。(クウェンタ異稿にある「最後の戦い」におけるトゥーリンの役割との類似。)

ワーグナーの「指環」でもクライマックスにシグルズ=ジークフリートの死があるが、ワーグナーのオペラではジークフリートの悲劇の「意味」というのがよくわからなかった。ヴォータンは自分の遠大な計画の実行者としてジークフリートという英雄を用意するものの、結局、ジークフリートの死によって全ては水泡に帰す。これではエアレンディルになるべきヒーローがトゥーリンとして死んでしまったようなもので、話のポイントが見えなかった。(あるいはワーグナーのストーリーに「意味」があるとすれば、それは一種のニヒリズム的な境地なのかもしれない。)対するトールキン版は「最後の戦い」という敗者復活戦をもうけることで、ヒーローの悲劇もまた遠大な計画の一部としての意味が付加されている。
(このトールキンの「希望の原理」は、「シルマリルの物語」においても、暗いメインテーマのバックに幽かに流れる通奏低音のように流れているはずだが、77年度版シルマリルでは「最後の戦い」の記述と「アスラベスとフィンロドの対話」等がカットされたことで見えにくくなってはいる。)
トールキンがこのシグルズ神話の再話で試みたのは、北欧神話(=異教の英雄)をキリスト教的世界観の中で意味づけする、ということだったとすれば、ライフワークのシルマリル神話も同じ試みの一環といえなくもない。

The Legend of Sigurd and Gudrun

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