「追っかけ」と「敵中突破」

黒澤明の作劇術」(古山敏幸)という本を読んでいたところ、「隠し砦の三悪人」について以下のような指摘があった。

「映画『隠し砦の三悪人』は、よく「おっかけ形式」の時代劇と言われる。黒澤本人がそう発言してるからだが、より正しくは敵中突破ものと書くべきだろう。敵中深く身を隠しながら難関を突破して目的を遂げる―このジャンルには、娯楽映画では『ナバロンの要塞』(61)、シリアス・ドラマではカンボジア内戦を描いた『キリング・フィールド』(85)があり、『隠し砦の三悪人』は両者に及ばない。初めてこの映画を観た時、時代劇なのに、どうして全員がショートパンツを履いているんだろう、などと実に詰まらぬことばかり考えていたのを思い出す。」

ショートパンツ云々には思わず笑ってしまったが、そういえばバクシ版LotRアラゴルンやボロミアも妙な短パン姿でしたな。
個人的には「ナバロンの要塞」や「キリング・フィールド」よりも「隠し砦」のほうが好きですが(*1)、そういう好悪は別として、これらの映画の魅力が「追っかけ」や「敵中突破」という物語構造に関わっているという著者の視点には深くうなずくものがあった。LotRもまた「旅の仲間」では「追っかけ形式」、モルドール潜入は「敵中突破もの」という、冒険活劇のパターンを踏んでおり、前の記事で「七人の侍」とLotRとの物語構造が似ているという指摘について書いたことがあったけれども、LotRは神話的要素やファンタジー要素とはまた別に、こういった冒険活劇もののパターンを幾重にも内包しているゆえに面白い、という見方もできるのではないだろうか。

黒澤明は「隠し砦」以前にも、脚本のみの参加で「敵中横断三百里」(山中峯太郎原作)、義経弁慶一行の敵中突破ものでもある「虎の尾を踏む男達」(*2)を監督しており、「隠し砦」はすでにやったパターンの焼き直し的に受け取られるふしもあったようだが、本書によれば、黒澤には「荒姫」という、構想だけで終わった敵中突破ものの企画もあったという。

「簡単に言えばジャンヌ・ダルクみたいな。原作は山本周五郎の『日本婦道記』の中にある中編小説だが(*3)、戦国時代、或る山城で籠城中の荒姫がヒロインでね。…味方の軍団ことごとく壊滅して、敵の重囲の中で老人、女、子供ばかりの城を護って戦い抜くっていう話だ。君(植草)の好きな原節ちゃんで、悲壮美を描きたいんだ」「残念だが、大合戦は無し。その代り、荒姫が城中に残っている少年たちを鍛錬して、十数騎、夜陰に乗じて、敵陣へ殺到するんだ。綺麗だぜ」―と熱っぽく語る。


うーん、圧倒的多勢と無勢の中、原節子率いる少年兵決死隊の敵陣突破、これは確かに面白そうだ。さながら角笛城から出陣するローハン軍+エオウィンの活躍が合体したようなヒロイックな映画になっていたかも。

*1)初めて「隠し砦の三悪人」を観たのはテレビ放映だったが(樋口監督のリメイク版は未見)、ところどころで台詞が聞き取れず、後年になって西村雄一郎「黒澤明 音と映像」を読んでいて、兵衛の台詞「天晴。将たる器…大事にせい!!」の「将たる」、雪姫の台詞「兵衛!!犬死は無用ッ!…志あらば続けッ!!」の「こころざし」を初めて理解し、「こんなかっちょいい台詞を言ってたのか」とかなりの時間差で感動した覚えがある。この辺の台詞はドラマ的に重要な台詞なので、これから初めて「隠し砦」を観るという方はDVDの日本語字幕をONにして観るのをお勧めします。

*2)初期の黒澤映画は未見のものも多く、「虎の尾を踏む男達」も最近やっと見た。原作は能(安宅)や歌舞伎(勧進帳)にもなっている義経一行の都落ち伝説で、これもまた神話的な魅力を兼ね備えている作品だった。LotRの中でも、とりわけ男が男に惚れる男気の美談?にグッと来る向きにはお薦めかも。(例えばファラミアが掌中にあったフロドを解放することと、関守の富樫の心意気には相通じるものがあると思った。)

*3)実は『日本婦道記』の中に「荒姫」という短編はなく、違う題名の短編から黒澤がイメージを膨らませていることが著者によって指摘されている。

黒澤明の作劇術

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虎の尾を踏む男達 [DVD]

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