ふくろをかぶっていなかった?

The History of the Hobbit は浅学の身には全編にわたって何かと教えられることが多いけれど、
ちょっと書き留めておきたい個人的な発見を一つ。

ビルボとスマウグの会話の場面で、スマウグにお前は何者だと聞かれたビルボが、自分の素性や本名を明かすのは賢明でないとして、それまでに経てきた冒険の数々を自分の名前にしてしまうことで、スマウグを煙に巻こうとするくだり。

「わたしは、友だちを生きながらうずめ、生きながらおぼらせ、水のなかから生きながらひきあげる者です。
わたしは、ふくろのどんづまりから出てきたが、ふくろをかぶっていたわけではありません。」

この部分、原文では、

I am he that buries his friends alive and drowns them and draws them again from the water.
I came from the end of a bag, but no bag went over me."

という箇所で、ふくろのどんづまり=袋小路屋敷=Bag-End からやってきた、というのはすぐにわかるが、「ふくろをかぶっていなかった」 no bag went over me というのは何かを指しているのか、そもそも疑問にも思っていなかった。本書によれば、これは旅の一行の中でトロルに袋を被せられて捕まらなかったのはビルボ(とガンダルフ)のみだった事情を指しているということで、ああそんな小ネタも入ってたのかと膝を打った。

瀬田訳の「ふくろのどんづまりから出てきたが、ふくろをかぶっていたわけではない」という訳だと、袋小路という言葉にかけた謎かけ以上のものとしては読めず、ここからトロルのエピソードを思い起こす人は少ないのではないだろうか。試しにこの箇所の山本訳を見てみると、「僕は袋の底(エンド・オヴ・バッグとルビあり)からやってきたが、袋の底はかぶらなかった」となっている。ここでのビルボの口上が、ビルボの今までの冒険にそれぞれ対応しているということに留意するならば、ここは山本訳のほうが原文の意を理解しやすいというべきかもしれない。

(しかしながら、この後に来る、I am Ringwinner and Luckwearer; and I am Barrel-rider,"
の瀬田訳「指輪ひろっ太郎、運のよしお、たるにのるぞうです」など、流石といいたい名調子で、初読のさい、これらの訳語の面白さに身をよじったのは私だけではないと思う。ちなみにこの箇所の山本訳は「指輪を獲得する者、幸運を帯びる者。僕は樽乗り」となり、意味は通じるが、これでは雰囲気が出ない。)

The History of the Hobbit: Mr Baggins v. 1

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The History of the Hobbit: Return to Bag-End v. 2

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History of the Hobbit

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