宗教的象徴など

「宗教心理学」(松本滋 東京大学出版会)という本で、ティリッヒが提示した宗教的象徴の分類が紹介されている。この分類を見ていて、今更ながらトールキンの物語の要素と宗教的象徴の類似に感心してしまった。以下、その分類をあげてみると、

イ) 聖物―トーテム、十字架、仏像、聖樹、神山、聖地など。(ヴァリノオルの二つの木、シルマリル、パランティア、ガラドリエルの玻璃瓶、等)

ロ) 事件―出エジプト、死と復活、天地創造、ヘジラなど、聖なる意味をもった出来事。(第一紀、第二紀の天変地異的な出来事は概ね歴史的事件というより、宗教的事件である。)

ハ) 人物もしくは人間関係―教祖、英雄、聖者、主、親子関係、婚姻関係。(とりわけエルフとエダインとの結婚から英雄の系譜が出来上がっているなど、両種族の結びつきは一種の聖婚と見てよい。)

ニ) 集団―教会、密儀集団、同胞、人類全体など。(とりわけ第三紀におけるドゥーネダインのありようなど)

ホ) 言語―神話、伝説、昔話、聖句、唱えごと、讃歌など。(エルベレス、ギルソニエル!)

へ) 祭儀、礼拝、勤行、修行など。(ファラミアの西方に向っての黙祷など)

ト ) その他―色、数など。(イスタリの色、シルマリル、指輪、パランティアの数、等)

こういう対応は細かく見ていけば、いくらでも上げられそうだ。ティリッヒによれば「(宗教的象徴は)われわれ自身の存在の中に、日頃かくされている深層があるのを、呼び覚ましてくれる」もので、「たとえば、すぐれた芸術(絵画、詩、音楽など)は科学的な方法では近づきえぬような実在の側面を表現する。われわれはそれなくしては知りえなかったような次元で、実在に出会うことができる」ということだ。
象徴というものを介して出会う「実在」なるものが何なのかは若干説明が必要とされそうだけれども、トールキン作品においてこういった象徴との出会いから生まれる反応というものには(少なくとも自分の場合)確かに宗教的感銘に近いようなものがあり、表面的には聖なるものが見えにくい時代になればなるほど、逆に無意識に潜在する宗教的情動を覚醒させるトールキンの物語がパワーを持ちえる理由なのかもしれない。

宗教心理学

宗教心理学