束翁と沙翁 語句ノート きれいはきたない

・ 「きれいはきたない、きたないはきれい。Fair is foul, and foul is fair. 」

マクベス」冒頭近くで呪文のように魔女が唱える有名な台詞ですが、この fair-foul の組み合わせは、アラゴルンに対するフロドの第一印象、「見かけは悪く(foul)、感じはよい(fair)」でも登場していることをMythsocでDavid Knight氏が指摘している。(*1)

じっさいのフロドの台詞を見てみると、馳夫がかの者の間者ならば、
「見かけはもっとよく、感じはもっと悪いだろう
I think one of his spies would-well, seem fairer and feel fouler 」
と婉曲に表現しており、アラゴルンが、それはつまり
「わたしは見かけは悪く、感じはよいということですな?
I look foul and feel fair. Is that it? 」とやや自虐的に言い直している。

ここでトールキンがこの一組の言葉を使ったとき「マクベス」の台詞を意識していたかどうかはわからないけれど、マクベスが次第に fair とfoul の区別がつかない道徳感覚の喪失へと進んでいき、最終的には人生自体が無意味というニヒリズムに陥っていく一方で、トールキンの主人公がこの言葉の区別を示しているということに、「カウンター・マクベス」を標榜するトールキンのスタンスがここでもちょっと顔を覗かせているようで面白い。

*1 このトピックから派生したレスの中にもいくつか沙翁とトールキンの類似を指摘したものがあり、とりわけフロドの一時的仮死状態とサムによる誤認は、「ロミオとジュリエット」での仮死状態のそれを連想させるというのにも意表を突かれた。
その他「ヘンリー五世」のアジンコートの戦いと決戦前の演説とか、「リア王」の狂気とデネソールの狂気の関係とか、調べていたらいろいろな指摘が出てきた。
そういえば「スメアゴルならしThe Taming of Smeagol」という章題はやはり「じゃじゃ馬ならしThe Taming of Shrew 」のパロディと考えていいのだろうか。

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