誓言の重み Oaths and Oathbreaking

Tolkien Studies ?の書評ページに、John・R・Holmes 氏 が書いた Oaths and Oathbreaking : Analogues of Old English Comitatus in Tolkien's Myth というタイトルの論文が紹介されており、トールキン作品における誓言というものの重要性を論じていてとても面白そうだ。
以下に抜粋、試訳してみる(*1)。

「彼(論文の筆者であるホームズ)は、アングロ・サクソンの社会や詩歌において、誓言というものが担っていた道徳的ステータスを、トールキンが中つ国の文化に反映させていることを提示している。
純粋にヒロイックな時代とは、英雄が誓言を守る者として現われる時代であるゆえ、トールキンの主人公たちの誓いの遵守、もしくは誓いの破棄にたいするさまざまな態度が、第三紀の終わりにおける道徳的衰退の見取り図を描き出すことになる。

彼はまず手短にゲルマン社会(タキトゥスによって描かれた)における誓言の機能を概観し、アングロ・サクソン社会において誓いを破ることの重大性を見るために大司教ウルフスタンの説教 Sermo Lupi ad Anglos of 1014 を引き合いに出す。この大司教は誓言の破棄を、人身売買、親族への攻撃や殺人のような由々しき罪と同等に論じ、それらの罪がイギリスの国に神の怒りをまねいたものとして、最も重大な破戒の一つと見なしている。

彼は登場人物たちの誓いに対する態度をとても説得力ある分析をしながら提示していく。とりわけ、メリー・ピピンの両人はそれぞれセオデンとデネソールにした誓言を、見たところそれらの王たち以上に重んじている、というのも王たちはともにホビットたちを彼らの誓約から解くことを望むから・・と指摘してるところなど。
彼らが自分たちのした誓約にたいして払う畏敬の念は、彼らをとりわけ‘古えふうなもの’old-fashioned として特徴づける。

ホームズはゴクリが「いとしいしと」にかけて誓った誓言と取り組むさい、ゴクリの内面でなされる巧妙な操作に関して面白い読みをしている。ホームズによれば、ゴクリでさえも、自分のした誓いを破ることはもっとも気がすすまぬ事柄だということだ。彼は巧妙な言語的操作をほどこすことによってのみ―彼のした誓言における「主人」master という単語が何を指すか、ということを変化させることによって―彼は少なくとも自分の内面において、自分が悪事を働くことを自身に許すことができたのだ。

さらにホームズは興味深い主張をしている。それはある状況下においては、誓いというものに制限を設けるということが認められてもよい、もしくはそうすることがおそらく賢明であるかもしれないということで、エルロンドが旅の仲間のメンバーが誓言をすることを斥けているのは彼が指輪隊の中のもっとも弱い者を守ることが念頭にあったからである。・・・」

***

この書評文では触れられていないが、ちょっと思いつくだけでも他にもフェアノールとその息子たちの誓言、イシルドゥアと死者の道の亡霊たちとの誓約などもあり、ホームズ氏の指摘する通り、トールキン作品では誓言というものがかなりシリアスなものとして扱われていることに改めて気づかされる。

エルロンドの誓言の扱いについて、実際の台詞を確認してみた。

「しかしいかなる誓言も義理のしがらみもあなた方をしばってはおらぬから、あなた方は自らの意志に反して遠くまで行くことはない。なぜなら、あなた方はまだ自分自身の勇気の強さを知らず、また銘々が旅の途次、遭遇するかもしれぬものを予見することもできぬからだ。」
「旅の道が暗くなった時に別れを告げる者は信義にもとる輩よ。」(*2)とギムリがいいました。
「そうであるかもしれぬ。」と、エルロンドがいいました。
「しかし、日の暮れるのを見たことがない者には、必ず暗闇を歩いてみせると誓わせぬがよい。」
「けれど、誓いによって、揺れ動く勇気が強められるかもしれません。」と、ギムリがいいました。
「あるいはその勇気を砕くかもしれぬ。」と、エルロンドがいいました。
(「旅の仲間(下)」旧訳文庫p130)

なぜ誓いが勇気を砕くかもしれないのかエルロンド殿の理屈がよくわからなかったので、原文を参照してみると、

‘Yet sworn word may strengthen quaking heart’ said Gimli.
‘Or break it.’ said Elrond.

となっており、heart は勇気でもあり心でもあるので、ここでのエルロンドは、いったん誓言がなされ、しかし誓言を全うすることに挫折した場合の誓言者の心理的破綻を考慮に入れていると考えれば納得がいく。そこまでいろいろ考えているエルロンドの洞察もすごいが、ここはいったんなされた誓言というものがそれほど重いということでもあり、それゆえ誓言者にかかる倫理的心理的負担が相当に大きいということでもあるのだろう。

ゴクリの内心の葛藤も、自分のした誓言を単にくつがえすのではなく、都合のよい誓言の解釈=言語的操作をすることによって、誓言を破らない形でなんとか自分の行為を正当化しようとしているというのは、言われてみればその通りだ。

ここで言われているように誓言が古代人的心性の雰囲気をかもし出す効果のほかに、いったん口に出した言葉というものに対する畏怖という、一種の言霊信仰に近いものもあったりもするのだろうか。
この論文、ぜひ全文を読んでみたいと思った。

*1 この論文 Oaths and Oathbreaking by John Holmes は、『Tolkien and Inventing myth』edited by Jane Chance という論文集に収録。
抜粋、試訳させてもらったのは、Tolkien Studies ?に掲載されたMargaret Sinex 氏による書評です。

*2 このギムリの台詞、原文だと、
Faithless is he that says farewell when the road darkens. であり、シェイクスピアか?って言いたくなるような格調の高さで、思わず暗記したくなるかっこよさだ。

Tolkien and the Invention of Myth: A Reader

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