秋の観念

夜道を歩いているときに、涼しい風にのって、きんもくせいの香りがふと鼻先を掠める時期になると、
C・Sルイスの「秋の観念」という言葉を思い出す。

「ビアトリックス・ポターの『りすのナトキン』を読んだ時、似たような経験をした。わたしはポターが書いたものはどれも好きだったが、そうした経験をしたのはこの本だけだった。他の本はおもしろいにはおもしろいものだったけれども、『ナトキン』にはひどく心をそそられ、幼いわたしは当惑するような気持ちになった。「秋の観念」としか表現できないものに心をそそられたのである。ある季節の魅力に心を奪われるなどと言うと風変りに聞こえるかも知れないが、現にそういうことが起きたのである。今度も前と同様に強烈な渇望を経験した。わたしはその渇望をみたすためではなく(それは不可能に決まっている。秋を手に入れることができるだろうか)、渇望を呼びおこすためにその本に帰っていった。この経験には、いつも同じような驚きと、同じような意味が隠されていた。それを日常生活や日常的な楽しみとは異質なもの、今日風に表現すれば「別の次元に存在するもの」と言っていいだろうと思う。」(C・Sルイス『喜びのおとずれ』冨山房百科文庫

私に「秋の観念」を与えてくれる書物は「旅の仲間(上)」だ。(そうじゃないですかー?)

「晴れた夜空でした。真暗な空には、星が点々と散りばめられていました。ビルボは空を見上げ、夜の空気を吸い込みました。
「楽しいなあ!もう一度出かけられるんだ、ドワーフたちとあの道を行くんだ。なんてゆかいだろう!
これこそ、長の年月、わたしがこがれこがれてきたことだ!では、さようなら!」
ビルボはそういって、住み慣れた家をじっと眺め、ドアに向って頭をさげました。(中略)
それからわが身に聞かせるように、低い声でそっと、夜の闇の中で歌い出しました。

道はつづくよ、先へ先へと・・・

かれは歌い止め、しばらく黙然としていましたが、やがて、一言もいわずに、原っぱやテントのにぎやかな声や明かりに背を向け、あとに従う三人の連れとともに、庭の方に回って、下り坂の長い小道を走るように下りて行きました。坂の下の生垣の一番低い所を跳び越えて、さきの牧場に出ると、さわさわと草をわたる風のように、夜の中に姿を消しました。」(「旅の仲間」評論社文庫(上))

ホビット庄にきんもくせいがあったかどうか知らないが、ビルボもまた夜の空気の中にどこからともなく漂ってくるきんもくせいの匂いを嗅ぎ、きっと深呼吸していたはずだと勝手に想像している。

喜びのおとずれ―C.S.ルイス自叙伝 (ちくま文庫)

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喜びのおとずれ―C・S・ルイス自叙伝 冨山房百科文庫 (7)

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The Complete Tales (Peter Rabbit)

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