選択の前と後―フロドの傷の深さ

滅びの罅裂でフロドが指輪の誘惑に屈する場面はLOTRリーダーズ・コンパニオンで3ページにも及ぶ長い注釈になっているが、
そこでKatharyne Crabbeという人 の評論が引用されている。以下、その引用部分を私訳してみる。

「(指輪の持つ)悪の潜行的性質は、トールキンの自己犠牲的なヒーローを、その先行する神話伝説的原型(アーキタイプ)よりもずっと痛切で感動的なものにしている・・・(訳者による中略)・・・すなわち、滅びの罅裂のきわで、指輪はフロドをホビットサウロンに作り上げることに成功したのだ。フロドは指輪が自分のものだと宣言し、そして第二紀の終わりにサウロンから指輪が取られたのと同じやり方、指を切り取られるという仕方で指輪を奪われる。
このフロドとサウロンの相似は人間の二面的性質を示唆するだけでなく、命をかけて倒そうとしてきた当の敵に、フロド自身がいかに近い存在になっていたかを示唆している。畢竟、LotRにおける究極の敗北とは、悪との戦闘において単に敗北するというだけでなく、その悪に取り込まれるということでもあった。」[J.R.R.Tolkien, rev. edn, p.87]

「怪物と戦うもの自らが怪物になる危険」は最近だとSWのアナキンの堕落を連想してしまうけれども(クライマックスの舞台を火山の星に設定したのもLotRのはるかな影響を勘ぐらないではいられない)、それとは別にこのくだりを読んでいて思ったことがある。

フロドは自力で指輪を捨てることができず、最終的にはゴクリの存在によって使命をまっとうすることを助けられたという構図がまずあり、ゴクリはフロドを最後には裏切ったものの、フロドの(そして以前にはビルボの)ゴクリに対する情けがめぐりめぐってフロドを助けることになったというのがこの場面のドラマ的な柱だろうし、そのように受け取ってきた。だからフロドは指輪の誘惑に屈してしまったものの、ゴクリの予期せぬ「贖い」的行為によって究極的には救われたという、まあめでたしめでたし、とはいかないまでも、ギリギリのところで首尾よく行ったのではないかというような感慨を持っていた。

物語の因果論的な結末としてはそれでいいのだろうが、そのような運命の歯車を回す役割を担ったフロド個人の内面を考えてみると、それだけでは済まないかもしれない。

フロドは単に指輪を捨てられなかっただけではなかった。滅びの罅裂のきわで、指輪をどうしても手放せないで逡巡しているときに指輪を奪われたのではなく、自ら指輪王宣言をした後に、指輪を奪われたわけである。どちらにしても指輪が破壊されたことに変わりはなく、あとはフロドの名誉の問題くらいにも思えるけれども、出来事の一連の経過をフロドの心理に焦点を当てて考えてみた場合、フロドが指輪王宣言をした後に指輪の破壊があったというのは、フロドのその後の心の傷の深さに大きな違いが出てくるのではないか。

変な喩えになるが、この女とつきあっていたらダメになるぞと自分でも思い、周りの人もあれは悪い女だから別れろとずっと云われ続けて、でもなかなか別れられないでいて、いろいろ追い詰められた結果、「いや、俺は誰がなんといおうとこの女が好きだ。おれはこの女と結婚する!」と決心した瞬間、その相手が殺されてしまった・・。まだ逡巡しているときに相手が殺されたとしても相当なショックは受けるだろうが、そのときの魂の姿勢とでもいうか、実存的な選択が行われた前と後とでは、受ける衝撃の度合はかなり違うだろう。

そう考えてみると、フロドは指輪の喪失だけでなく、ギリギリの場面での自分の選択自体によってもさらにダメージを受けていたはずで、彼の受けた精神的ダメージは見かけ以上に深いものだったのかもしれない。

J.R.R. Tolkien (Literature and Life : British Writers)

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