映画「永遠の愛に生きて」

ライオンと魔女」のディズニーによる映画化が楽しみな昨今だが、本作は93年に公開されたルイス晩年の唐突な結婚と、妻との死別を描いた伝記ドラマである。
以前一度ビデオで見てはいたが、今回は北米版DVDを取り寄せての再見。
英語字幕がついているのが助かる(というか私のリスニング能力では字幕なしではとても歯が立たない)。
ルイス役がアンソニー・レクター教授・ホプキンスなので、ルイスが温厚な紳士の皮をかぶった鬼畜のおじさんに見えて困る瞬間が何度かあったが(屋根裏部屋でダグラス少年がふと気配を感じて振り向くと、ルイスが両手をだらーんと下げて不気味に立っているところはあまりにホラーなので思わず笑ってしまった)、全体的には抑制された渋い演技と演出で、見ているうちにそれほど違和感はなくなっていた。

舞台はもちろんオックスフォード、私は英国へ行ったことがないので、かの地の風景を見ているだけでもけっこう愉しい。大学の同僚との交友も描かれるので、すわトールキンも登場かと期待するところだが、残念ながらインクリングスのメンバーは(ルイス兄弟は別として)特にだれと限定できるようには描かれない。しかしインクリングスらしいメンバーがパブで歓談するシーンがあり、店の壁に Bird & Baby 亭の看板と同じ、鳥の背に乗った赤ちゃんの絵が映し出されていた。
そこでのルイスとメンバーとのやりとりがちょっと面白かった。

「独身の老教授が一人で住んでる屋敷の衣装ダンスになんで毛皮のコートがかかってるんだ!」

ルイス「単純な話さ。あれは老教授の母親のものだよ」

そうだったのか・・

以前は見逃していたが、ダグラス少年が寝る前に読んでいる本が表紙カバーのデザインから遠目にもそれとわかる「ホビットの冒険」であるのを発見。

邦題はいささか恥ずかしいタイトルになっているが、原題はSHADOWLANDSであり、もともとは「さいごの戦い」の最終章「Farewell to Shadowlands」に由来するはずだが、劇中でナルニアにおけるようなプラトン的な世界観が開陳されるわけではなく、この世は日が差さない影の国、みたいなニュアンスで使われており、こちらが期待したような含みは特になかったようだ。

ダグラス少年がルイス家の屋根裏部屋にある衣装ダンスに胸をときめかすというシーンはあるものの、ドラマはファンタジー作家としてのルイスよりも、キリスト教護教論者としてのルイスを強調しており、「痛みの問題」等の著作で、この世の苦しみや痛みの存在と、全能であり善であるはずの神という「矛盾」を観念的に説明することでこと足れりとしてきた学者ルイスが、妻との死別という、わが身に降りかかってきた「痛み」に直面したことで、自身の神学と信仰が揺さぶられるというのがドラマの骨子だと思うが(映画の冒頭近くからしつこく繰り返される「苦痛は、耳しいている世界を呼び覚まそうとしておられる神のメガフォンである」という台詞は「痛みの問題」からの引用。)かといってそういうテーマが前面に浮き彫りにされているとも言えず、わりと淡々としたまま終わってしまうので、何か神学的な思想的決着を期待すると肩透かしを食う。
映画の冒頭で実話であるとうたっているものの、ジョイの連れ子がダグラス一人だけに変更されていたり(実際は二人の子供)、ジョイと知り合うまでのルイスが象牙の塔に閉じこもったお堅い学者先生タイプとして強調され過ぎの感はあり、何種類か出ているルイスの伝記から受ける印象とはかなり違うので、事実に忠実な伝記ドラマとして見ると誤解をまねきそうだ。映画で描かれているように妻の死に直面したさい本当にルイスの信仰がぐらついたのかについても疑問視する向きもあるようである。(妻の死に直面したルイス自身の心情はルイスがペンネームで出版した「悲しみをみつめて」が参考になる。)

ところでルイスが半自伝”Surprised by Joy”(邦題「喜びのおとずれ」。この本でルイスはある種の美的体験に Joy という言葉を用い、このJoy の感覚が無神論者だったルイスが回心する上で重要な役割を果たしたことを説明している)を書いた後で、Joy という名の女性に出会ったということが、映画以上に何やら出来すぎておりますね。

Shadowlands

Shadowlands

Shadowlands

Shadowlands

喜びのおとずれ―C.S.ルイス自叙伝 (ちくま文庫)

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Surprised by Joy (Cs Lewis Signature Classic)

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