悪の問題⑵

ヒックの本によれば、悪の問題に対するキリスト教側からの伝統的な解答は聖アウグスティヌスによって提出され、以後何百年にもわたって一つの模範解答になっているとのことである。後でトールキン神話における悪の起源と比較するために、まずはアウグスティヌスの基本的な考えをヒックの本から引用させていただく。

一、本来的に宇宙は善である。すなわち善なる神の、善なる目的のために創造されたものである。悪は、それが悪なる意志であれ、痛みや苦しみであれ、あるいは自然の中の無秩序なり腐朽であれ、けっして神によって設定されたものではなく、それは本来善であるものの間違ったすがたなのである。

ニ、もともと宇宙は神の御手から生じたものであるから、完全な調和であった。はじめに悪は、自由意志を持つ階層において生じた。つまり天使の自由意志と人間の自由意志において。天使のうちのあるものたちは至高善から低級な善へと向かい、そのために彼らの創造主に反逆するものとなった。そして、彼らは最初の男と女を罪へと誘った。天使と人間によるこの堕罪が道徳的な悪、つまりは罪の起源なのである。

三、病気、弱肉強食の過酷な自然、地震などの天災とかの自然的な悪のほうはこの罪に対する罰的な結果である。というのも、人間はもともとこの地球の保護者であったはずなのに、人間のこの欠陥がもとで、すべての自然がゆがめられてしまったからである。したがって、アウグスティヌスは「すべて悪は罪であるか、罪に対する罰であるかのいずれかに当たる」(「宗教の哲学」p89)

アウグスティヌスは若いときにマニ教にはまったことがあるそうで、マニ教善悪二元論的発想を批判克服することを自身の知的課題としていたらしい。一の「悪は本来、善であるものの間違ったすがた」という考えは、悪がそれ自体として独立した原理として存在できるものではなく、悪は善の欠如であり、本来的に善であったものの歪曲した姿となってあらわれるものとして規定することで、まずはマニ教的な善悪二元論を斥けていることがわかる。

本来的には善なるものが自由意志によって悪へ堕落するという考えはキリスト教ではサタンの、トールキン神話においてはメルコールの堕落が対応している。イルーヴァタアルの明かした調和のとれた音楽に「自らの割り当てられたパートの力と栄光をさらに大ならしめたいと欲し」て不協和音を奏したメルコールの逸脱は、それ自体では「堕落」とまで言えない印象もあるが、己の力を恃み次第にプライドを肥大させ、創造神の世界計画を妨げるようになっていく過程はアウグスティヌスの悪の起源説とそれほど隔たっていないと解釈していいと思う。

アウグスティヌスの説とトールキン神話で大きな違いが出てくるのはニと三の部分、人間の堕罪と地球上の自然的な悪の理由に関してである。ところでメルコールの堕落とその余波は「シルマリルの物語」で一部語られているが、メルコール=モルゴスの反逆がアルダの形成にどのような拭いがたい悪の種子をばら撒いたか、そして彼が人間に落とした影がどういう性質のものであったかは(おそらくは意図的に)詳しく語られていなかった。このテーマに関してトールキンLotR完成後、その時点までに形成されていたシルマリル神話を神学的に再解釈するということにずいぶん時間を割いていたようで、これら中つ国の神学的考察がHoMEの10巻「Morgoth's Ring」にまとめられている。
この巻にはモルゴスとサウロンでは悪の様相がどう違うのかという比較から始まって、人間の魂とエルフの魂の違い、そして一種風変わりな信仰告白の書としても読める「フィンロドとアンドレスの対話」が収録され、中つ国の神学ということに興味がある人間にとっては非常に美味しいテキストが目白押しであり、これからしばらくこれらの作品を手がかりにトールキン世界における悪の問題について考えてみたい。

Morgoth's Ring: The Later Silmarillion, Part One : The Legends of Aman (History of Middle-earth)

Morgoth's Ring: The Later Silmarillion, Part One : The Legends of Aman (History of Middle-earth)

Morgoth's Ring (The History of Middle-earth)

Morgoth's Ring (The History of Middle-earth)

Morgoth's Ring (The History of Middle-Earth)

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