旅への憧れ(その一) フロドに託されたもの

カーペンターの伝記にトールキンの母の死が若年のトールキンの性格形成に大きな影響を与えたことを説明してる次の文章がある。

「…間違いなく、母の喪失は、彼の人格に深甚な影響を及ぼした。母の死は彼を一個のペシミストにしたのだ。
 あるいは、むしろ、母の死によって、彼は二人の人間になったのだ。彼は元来は、生への激しい渇望がおのずと溢れ出てくるような陽気な人間であった。楽しい語らいや、体を動かすことを好み、深いユーモアの感覚と、友達をつくる豊かな才能に恵まれていた。しかし、この時以後、二番目の性格が現れることになる。もう一つのもののように表には現れないが、日記や手紙の中では、はるかに優勢な性格が…。こちらの側面は、深刻な絶望の発作につながるものである。より正確に言えば、そして、より密接に母親の死と関連させていえば、この状態にある時の彼は、いますぐにも、何かを喪うのではないかということを、深刻に感じとった。何一つとして安全なものはない。何物も永続することはない。永久に、いかなる闘いにも、勝つことはできない…」(「或る伝記」評論社刊 菅原啓州訳p44〜45)

ところで伝記によるとトールキンの母が亡くなったのはトールキンが12歳のときだが、ふと思いついてフロドが孤児になったのはいつか、追補編を見てみると、はたして彼が両親を河の事故で失くしたのは12歳に設定されているのが確認できた。両親を同時に失うという状況の違いはあれ、この年齢の一致に偶然以上の、トールキンの思いが託されていると想像するのはセンチメンタル過ぎるだろうか。

フロドの両親の死が少年フロドに与えた影響は物語中では一切語られていないし、彼の性格がペシミストというのは当たらないかもしれないが、フロドの性格には他のホビットとは明らかに違う気風があり、旅への憧れやエルフへの傾倒等、趣味性という点で共通するところもあるビルボともまた違う独特の雰囲気をたたえている。

フロドがホビット庄を愛し、仲のよい友人達との交遊からなる安穏な生活を愛していたのは間違いないだろうが、しかしそういった表向きの顔の影に、いつか機会がやってきたら現在の生活を捨て、旅に出たいという願望、しかしビルボのように冒険を求めるトゥック気質ともまた違う、一種の厭世的気質というようなもの、ホビット庄的ローカル社会に埋没できないある種のアウトサイダー性、「ここではない何処か」への憧れ、究極的には彼岸的世界への憧憬-があらかじめ彼の性格の根っこの部分にもともと潜在していたような印象はないだろうか。〔*1〕

私は彼の指輪棄却のミッションと、その予期せぬ結果としての最終的な西方への旅立ちは、ある意味、彼の無意識レベルでの願望、彼の無意識の本懐に沿った出来事だった気さえすることがある。彼は旅の過程で癒されない傷を負い、その結果として「故郷喪失者」になったように見えるが、実ははじめから一種の「故郷喪失者」だった趣きがあるのではなかろうか。〔*2〕

そういう彼の性格に若年時の両親の死が濃い影を落としていると考えるのは精神分析的過ぎる読みだけれども、彼のもっているどことなく厭世的雰囲気の核の一部となっていると想像するのはそれほど的外れではないかもしれない。そしてそういう性質を持つフロドに若年での両親の喪失という自分と同じ境遇を設定したトールキンは、フロドの中にカーペンターが説明するような一個のペシミストをひそかに託していたと考えれば、もう一つの彼の人格、生への渇望にあふれた陽気な人間、こういった面の性格の多くを、サムの楽観主義や家族愛へと昇華したともいえるのではないだろうか。

(つづく)

〔*1〕Old Walking Song のフロドバージョン、

角を曲がれば、待ってるだろうか、
新しい道が、秘密の門が。
たびたび旅路を通ったものの、
ついにその日がやってくるだろう
月の西と日の東を通る
隠れたあの小径を辿る日が。

この詩は自分の運命についての予感とその実現とともに、ある種の本懐の成就というふうにも読めなくもない。

〔*2〕赤表紙本からの詩歌集である「トム・ボンバティルの冒険」に「海の鐘」という詩があり、Frodos Dreme と添え書きされたこの詩は傷を負った後の「故郷喪失者」フロドの暗い絶望感と孤独感を歌っている。

J.R.R.トールキン―或る伝記

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