LotR のラストシーン (その四)

ところでトールキンは最終的になぜこのエピローグをカットすることに決めたのだろうか。
トールキンに影響を与えるのはバンダースナッチに影響を与えるくらい困難だとはC.Sルイスの言だが、「王の帰還」のタイプ原稿を読んだ何人かの友人(おそらく一番容赦ない批評をしたのはルイス)からエピローグはカットしたほうがいいと意見され、結局彼らの見識に従ったということらしい。
Sauron Defeated に再録されたトールキンの書簡を以下、訳出してみる。

ホビットの子供たちはとても愉しいものだった。この本の中でそれが垣間見られるのは一巻目の最初のところだけになってしまった。彼らをもっと見られる機会(かなり例外的な家族のものではあるが)を与えてくれたはずのエピローグは全員一致で酷評されたので、私はそれを挿入しないつもりです。いずれにせよ人はどこかで物語を終えなければなりません。」(Naomi Mitchison への手紙No144)

しかしトールキンはいったんはそう決断しながらも、同時に後悔もしていたらしい。
王の帰還」刊行の数日後に書かれた手紙(Katherine Farrer への手紙No173)では、

「私は未だにサムワイズとエラノールへの言及なしでは絵が未完成であるような感じがしている。しかしエンディングをぶち壊しにしないで済むような何か、結局追補編の中でヒント(おそらく充分と思われるほどの)を与える以上のことは思いつくことができませんでした。」

もう一つエンディングに関してトールキンの当初の計画を伺える資料として、Milton Waldmanへの手紙がある。(この手紙でトールキンシルマリルリオンとLOTRのあらすじを語り、いかにこの二つの物語が合本として出版される必要があるかを諄々と説明しているのだが、LOTRの粗筋部分は書簡集からはカットされていた。)Sauron Defeated にはこの手紙のカットされていた部分、LOTRのエンディングがどういうものなのか、トールキン自身によるレジュメが採録されているのでその部分を訳出してみる。

(灰色港での別れのシーンの後から訳出)
「…そして彼は家に帰る。妻が彼を灯火に迎え入れ、彼の初子を手渡す。彼は一言”Well, I've come back"と言う(本編原稿では全てのバージョンで "Well I'm back")。この後にサムが子供たちに囲まれている短いエピローグが来る。…(中略 エラノールがエルフ的な特徴を持った娘であることを説明した後で)…そしてエラノールの中に彼のエルフにたいする愛と憧れがすべて実現され満足する。彼は忙しく、満ち足りていて、何度も庄長になり、ビルボによって始められフロドによってほぼ完成させられた赤表紙本を仕上げようと努力する。そして最後のシーンではサムと妻が袋小路屋敷の外に立っている。子供たちはすでに眠っており、夫婦は涼しい春の夜空の星を眺めている。サムは妻に幸福と満足を伝え、それから家に入っていく。しかし、ちょうどドアを閉める瞬間、世界の果ての岸辺の海の囁きを彼が耳にするところで物語は終わる。」(注1)

フロドがサムに語った言葉「お前はこれから長い年月欠けることのない一つのものでなければならない…」を文字通り体現しているサムの姿をトールキンは物語の最後に描いておきたかったことがこれらの手紙から伺える。

しかし、結局トールキンはこれら全てを追補編へ持ち越すことに決め、わずか数行のサムの帰宅のシーンだけを残した。とすると、やはりあの短い帰宅シーンの背景に、トールキンがこのエピローグに託していた思いが凝縮されていると読むのが正しい読みだと言っても差し支えないのだろう。(注:2)けれど初読以来、「これで終わりなのか…」という戸惑いを感じた私は、作者とは全く違う観点でだが、あのラストが"definitive" なものであったのかどうか、やはり多少の居心地の悪さを拭えないでいる。(注:3)

(注:1)実際に執筆された本編のラスト数行を原文で引用してみる。

They went in, and Sam shut the door. But even as he did so, he heard suddenly, deep and unstilled, the sigh and murmur of the Sea upon the shores of Middle-earth.

最終的には退けられたとはいえ、一度はこの大作の掉尾を飾る一文として書かれたこの文章は、ラスト一文字がMiddle-earth という単語に着地していることといい、海のささやきが読者の耳にも残るような余韻といい、ある意味、現行のラストの文よりもTHE END感が強く、収まりがいい気がする。

(注:2)映画のラストシーンは原作のラストの印象よりも明るく、最後に家のドアを閉めるところ、フロドの例の台詞がかぶることなど、この幻のエピローグを読んだ後だと、トールキンの意図をかなり忠実に汲んだものだったと思う。といっても映画のラストは(少なくとも劇場版では)灰色港で終わることに個人的には何の文句もなかったけれど。

(注:3)私が所有しているAllen&Unwin刊の第二版のLOTRには本編の末尾にTHE END の文字がない。(一方「ホビット」にはしっかりTHE END と記されている。)しかし93年に大幅な改訂が行われた以降のLOTRにはすべてTHE END の文字が入っているようだ。これはどういう事情に寄るものだろうか。あくまで仮定の話だが、これが単なる遺漏ではなく、トールキンが意図的にTHE ENDの文字をあえて書かなかったということはありえないだろうか。現行のラストシーンへの作者の逡巡、追補編の情報を読むまで物語が『きちんとしめくくりがつけられ』ていないという事情から、あえて本編の末尾をTHE ENDの文字で封印をしなかったと考えるのはうがち過ぎだろうか?(原書の第二版を底本としている邦訳の最後にも「完」や「終わり」という文字はない。)

Sauron Defeated: The End of the Third Age: The History of the Lord of the Rings, part four (History of Middle-earth)

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Sauron Defeated (The History of Middle-earth)

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