LotR のラストシーン(その一)

私は「指輪物語」を初めて読んで以来、サムの帰宅で終わるあのラストシーンに釈然としない感じを持っていた。
フロドが「ボンバディルの家で見た夢の中でのように」「白い岸辺と、その先にはるかに続く緑の地を、たちまち昇る朝日の下に見た」ところで物語はほとんど荘厳なまでに盛り上がり(まあ読んでいる私が勝手に盛り上がったわけですが)、一種、悲劇的な大団円とでもいうか、壮大な交響曲のフィナーレのコーダというべきか、不死の楽園の岸辺が眼前に見えたこの瞬間に終わるのがこのエピックにふさわしいカーテンフォールのように思った。(注1)

いずれにせよ物語のナレーターの視点が中つ国から、次元の違う世界へ超え出て、定命の種族が踏み入ることが許されない禁断の岸辺を見てしまった以上、もう一度視点を此岸に戻すは野暮ってものじゃないか?これ以上この物語に付け加える何かがまだあるのだろうか…。

しかし物語の視点はもう一度中つ国の岸辺に立つ三人のホビットに戻り(別の種類の余韻を残すエンディングとして、暮れていく岸辺にじっとたたずむ三人の絵-寺島画伯の挿絵のように-終わるのもアリかと思った)、しかし物語はそこでもまだ終わらず、此岸に残された者の哀しみだけが無言のまま持続しながら、家路を辿るホビットたちをフォローしていき、そして最後のサムの万感の思いの一言、「今、帰っただよ」で幕を閉じる…。

う〜ん。サムの帰宅とこの一言ってこの物語の結末に本当に必要な「絵」なのかしらん。どうも私にはトールキンの意図が今ひとつ推し量れない気がした。

(つづく)

(注1)「シルマリルの物語」の「力の指輪と第三紀のこと」ではじっさい物語はここで終わっている。「シルマリル」はエルダアル中心史観で語られており、全体の語りの簡潔さを考えれば、これは当然の帰結ではあるけれど。