more than memory 〜思い出以上のもの (?)

(つづき)

前回書いたようなことが印象に残っていたので、これに関係する台詞が映画の中に使われているのに気づいたときに、少し引っかかるものがありました。映画では前回引用させてもらったアラゴルンの辞世の挨拶の少し前、アラゴルンがアルウェンへ語る台詞を、アラゴルンとエルロンドの会話へと転用して使っているのですが、まず原作のその部分を引用させてもらいます。

I speak no comfort to you, for there is no comfort for such pain within the circles of the world.
The uttermost choice is before you: to repent and go to the Havens and bear away into the West
the memory of our days together that shall there be evergreen but never more than memory;

「私はそなたに慰めの言葉はいわぬ。この世界にはこのような苦しみを慰めるものは何もないからだ。
そなたの前には最終的な選択がある。悔い改めて港に行き、われらがともに暮らした日々の思い出を西方に運び去れば、その思い出はかの地で色褪せることはなかろう。思い出は思い出以上のものにはならぬとしても。」(旧訳文庫p326)

この部分の台詞が、映画ではアルウェンの運命を気遣うエルロンドとアラゴルンの会話に転用されています(映画TTTより)。

ELROND: Let her take the ship into the West. Let her bear away her love for you to the undying lands,there to be ever green.

ARAGORN: But never more than a memory

私の手元には輸入版のDVDでしかなくて、今、日本語の字幕や吹き替えを確かめることができないんですが、この場面でのアラゴルンの台詞 never more than a memory だけでは、この台詞に含まれた彼の死生観を読み取る観客はほとんどいないのではないかと思いました。あるいは脚本家はもともとそういう含意を意図せずに使っているのか知らん。すると、ここでの台詞の持つ意味は、この時点でのアラゴルンとアルウェンが共有する思い出、二人が結婚する前の短かった思い出しかない、という世俗的な意味しかなく、人間の死というものが「思い出以上の何か」であるという彼の信条の凄みは消えてしまったということになります。

今回の映画ではこういった原作からの台詞が話者と場所を変えて全編に散りばめられているのですけれど、シチュエーションが違うゆえに微妙にニュアンスが変わってしまっていて、原作からの引用を喜んでいいのか、困っていいのか、判断に苦しむことが何度かありました。