more than memory 〜 思い出以上のもの(?)

ガラドリエルの鏡と三艘の船」の記事に関していただいたコメントからの連想なのですが、トールキン世界における死ということからアラゴルンの辞世の言葉を思い出しました。その部分を引用させてもらうと

 "In sorrow we must go, but not in despair.
 Behold! we are not bound forever to the circles of the world,
 and beyond them is more than memory
."

「悲しみのうちにわれらは行かねばならぬとしても、絶望して行くのではない。
ご覧!われらはいつまでもこの世に縛られているのではない。
そしてこの世を越えたところには思い出以上のものがあるのだ。」(旧訳文庫 p327)

(ところで私がこの言葉に強い感銘を受けたのは実は邦訳の追補篇のくだりを読んだときではなく、Joseph Pearce 氏のトールキンカトリック信仰の関わりに焦点を当てた評伝 Tolkien Man & Myth の裏表紙にこの言葉が引用されているのを読んだときでした。スラスラ読める日本語だと引っかからなかった言葉が、不自由な英語で意味を探りながら読むと、結果として日本語で読んだときよりも意味を噛みしめることになる場合がありますが、これなどは特にそうかもしれません)

この世=circles of the world という表現から、ちょっと輪廻の輪を連想させたりもして、いかにもこの世の枷から解放される感じがよく出てると思ったり、何より「この世を越えたところには思い出以上のものがある」というところにアラゴルン = A Faithful の信条がよく現れていると思います。

この引用のあと、Farewell! と言ってエレスサール王は崩御されるわけですが、邦訳では「ではごきげんよう!」なんですね〜。昔ここのくだりを読んだとき、このどことなく能天気な別れの挨拶に虚をつかれ、アルウェンとともにボーゼンとしたものです(笑)つい取り乱したアルウェンがエステル、エステル!ってアラゴルンの幼名を叫ぶところも実にいいです〜

(つづく)