トールキンと一人の日本人の邂逅


実際にトールキンその人に会ったことのある日本人って何人くらいいるのだろう。
オックスフォードでトールキンが指導教官だった猪熊葉子氏は別格として、他に直接会ったという人は聞いたことがない。上智大学教授のピーター・ミルワード氏もオクスフォードの学生だった時分にトールキンの授業を受けたことがあると書いていたけど、日本人じゃないし。ってまあ、日本人にこだわることに全然意味はないんですけれども。
ところが以前本書の山口昌男のパートを読んでいて、唐突にトールキンの名前が出てきたので思わずのけぞった。本書は現在品切れで手に入りにくくなっているようなので長くなりますが多少くわしく引用したいと思います。

「あるとき、一九六八、九年かな、オクスフォードでイギリス社会人類学会のシンポジウムがあって、そこで私は、のちに「天皇制の深層構造」というタイトルで日本語に訳した論文を発表したんです。シンポジウムが終わってからも、ある寮に泊まって、毎日芝生で買い込んだ本を読むという、非常にのんびりしたいい生活を送っていた。
そのときに、マートン・カレッジという学寮の食堂で食事をしてたら、隣の席に座って話を始めたおじいさんが『指輪物語』で知られる、あのトールキンだったんです。トールキンマートン・カレッジ学寮のドンとして生涯暮らしていたんですね。
で、トールキンが私に、どんなことをやっているのかと聞くので、あらゆる時代の道化について関心を持っていると答えたら、トールキンは非常におもしろがりましてね。それはおもしろいと、このマートンにもそういう伝統があると言うんです。それで、ちょっとふたりで散歩しようということになって、散歩のあとで大食堂に行ったんですね。
大食堂には歴代のドンの写真がずっとかかっているんですが、何人かの十七、十八世紀の人たちの肖像を指してあの額のあの人は、同時代の同僚には非常に優れた道化として理解されていた人なんだと言うわけです。オクスフォードはそういうものに対する許容性が非常に高かったと言うんですね。
どういうことかと言うと、英語でサーカスティックという言葉がありますね。斜に構えて人を徹底的におちょくる。この連中はそういう特権を持っているんだと。オクスフォードで厳粛な儀式、たとえば学位授与式なんかをやっているときにツカツカとはいってきて、こいつはほんとうは実力なんかないんだとか、このあいだまで人の書いた論文をチョロチョロ写していたとか、そういうことをおもしろおかしく言うわけです。
普通はそんなことを言ったらいけないんだけど、彼らにはそれが許されていた。いちばん厳粛なときにパッと逆のことをやって、厳粛な気分をかえって盛り上げる。汁粉に塩を入れるようなもんで、そういう効果を発揮していた。…(中略)…
儀式にはそういう要素がけっこうあって、日本だって、お通夜のときになまもののお寿司かなんかを食べて、途中からドンチャン騒ぎになることがありますね。しまいには死んだ奴のことを「あいつはバカだった」とか言ったりして(笑)。それもちゃんと理に適っているわけです。
だから、やっぱりそうかと。道化という存在は普遍的なものだったのかという話をして、トールキンと別れたんですね。そんなこともあって、このマートン・カレッジでの経験は非常におもしろかった。」
(『いま「ヨーロッパ」が崩壊する』光文社 p274〜277)


山口昌男という人は何を語ってもいつも最後は道化のことに話が収斂していくおそるべきトリックスター学者ですが、トールキンを相手にして聞いた話もやっぱり道化のことというのはさすがと言うか、多少歯がゆい気もしますね(笑。
それにしても教授とこんなふうに出会って一緒に散歩したなんて、なんともうらやましい話です。