Mythlore 100th Issue トールキンとナルニア

Mythopoeic Society の機関誌、Mythlore の最新号を入手。以前に一時、会員だったこともあるのだが、更新手続きの送金が面倒で放置したまま、自然脱会の形になってしまっていた。(*)

今回はたまたま最新号の目次がアップされているのを見て、興味をそそられるタイトルのものがいくつかあったので、非会員の雑誌のみ購入という形で注文してみた。

とりあえず、読み始めたのが Letters to Malcolm and the Trouble with Narnia: C.S. Lewis, J.R.R. Tolkien, and Their 1949 Crisis by Eric Seddon という論文。

トールキンナルニアを全く受け付けなかった話は有名だが、その理由としてよく上げられるものは、

一、ギリシャローマ神話系のフォーンやニンフから、北方系のドワーフ、はてはサンタクロースまで登場するような何でもありの神話的ちゃんぽんはトールキンには我慢のならないものだった。

一、まだ未発表のLotRの原稿を読んだルイスが似たような異世界ファンタジーをサクサクと書いて先に発表してしまったことへの怒り。

というようなもので、特に後者の理由などは、ナルニアを認めないのはトールキンの狭量さが原因であるかのような印象すら与えかねないが、Seddon 氏によれば、トールキンナルニアを嫌った最大の理由は、ルイスの中にあるカトリック的伝統への軽視(さらにいえば蔑視)にあるという。
ナルニアにはアスランの死と復活はあっても、神と人間との関係においてカトリックが重要視する教会もなければ、ミサもない。(そもそも最後の晩餐がないので、当然、聖体拝領もない。)アスランの国は物質を超越したプラトン的世界として描かれ、カトリックが説く、「物質であるこの肉体」の復活がない・・・
なるほど、考えてもみなかったが、教会という仲介的存在を必要とせず、ダイレクトにアスランという神と遭遇できるという設定は、たしかにプロテスタント的とも言えそうだ。

同時にルイス最後の神学的著作である「神と人間との対話―マルカムへの手紙」を引き合いに出しながら、トールキンがなぜ「マルカム」を読んで「悲惨であり、一部ぞっとさせる」と嫌悪したのか、そこに潜む英国教会徒ルイスによる遠回しのカトリック批判と、それを敏感に察したであろうトールキンの思いを想像するくだりは読んでいて思わず緊張する。後年になってからの二人の友情の溝は、伝記などからはトールキン側からの一方的な敬遠であったかのような印象を持つが、しかしその原因の一つはルイスの中に根強くあったアンチ・カトリック的態度であり、そういう二人の神学的な立場の違いがトールキンナルニア評価に影を落としているという指摘は新鮮だった。

(しかしながら、ルイス学者のうち、第一人者であるHooperを始めとして、ルイス伝を書いたSayer、他にもルイスに関する研究書をものしているPurtill、Kreeftらはカトリックのはずだが、少なくともナルニアに関してカトリック的立場から苦言を呈しているようなものを読んだ覚えがなく、ナルニアカトリック一般に受け入れがたいということはなさそうだ。)

(* Society の会員だった時に送られてきた会員名簿を見ていたら、その時期(ほぼ10年前)の日本人会員は二人しかおらず、私ともう一人は「エルフ語を読む」の伊藤 先生だった。現在はどうなっているのかわからないが、本家のTolkien Society と比べたら、かなり淋しい感じですねぇ。)

神と人間との対話 (C.S.ルイス宗教著作集)

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Letters to Malcolm: Chiefly on Prayer, Library Edition

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