ルイスと神秘主義

Into the Region of the Awe: Mysticism in C.S.Lewis by David C. Downing という本を買った。

本書の序文には次のようなエピソードが紹介されている。
米国の小学生から次のような質問がルイスに送られた。”アスランの国を訪れることは可能なのでしょうか?”
その質問に対してルイスは、彼が知る限りの唯一の方法は、死ぬことだと答えてから、奇妙なことを付け加えた。
”もしかすると、とても善良な人々はその前にほんの一瞬だけ垣間見ることもある。”

普通に読めばこの記述は子どもの読者への著者からのちょっとしたリップサービス、もっと言えば子どもが「いい子」になるための「教育的な嘘」のようにも思えるけれども、ひょっとしたらルイスは意外に本気だったのではないか?
というのが本書の著者が問うている謎である。

ルイスの作品を読んでいると、読者の生きる現実の世界の足場がゆらいできて、ファンタジーの世界、想念の世界のほうがリアルに思えてくるような、リアルとアンリアルが反転する瞬間があるけれども、これは必ずしもルイスの作家としての想像力のなせる技だけでなく、もしかしたらルイスの何らかの神秘体験(神的なものとのダイレクトな交感)に裏打ちされたものなのかもしれない。あるいはルイスの論理的な護教論者の顔の下には一個の神秘主義者が住んでいたのかも。

タイトルの Into the region of awe はルイスの宗教的自伝「喜びのおとずれ」の一節からの引用。

”Into the region of awe, in deepest solitude there is a road right out of self, a commerce with...the naked Other, imageless (through our imagination salutes it with a hundred images ), unknown, undefined, desired. "

不可知であり、定義できぬ、それでいて切望された”まったき他者”との接近遭遇。
ルイスのキリスト教には、そんな神秘的な体験が出発点にあったということだろうか。

そしてルイスが感じたその大いなる他者の息吹は、後々アスランのキャラクター描写となって表現されていったのかもしれない。

Into The Region Of Awe: Mysticism In C. S. Lewis

Into The Region Of Awe: Mysticism In C. S. Lewis