映画「カスピアン王子の角笛」鑑賞 (ネタバレ有)

レイトショーで観たのだが、入りはガラガラ。公開間もないゆえ、多少の混雑を予想していたのに拍子抜けした。

原作シリーズでは前作「ライオンと魔女」よりも本作のほうが好きでもあり、映画としても前作より面白くなるのではという期待を持って観に行った。

しかし。映画は自分が期待したものとは違っていたかなあ。2時間半近い長尺で、上映時間はたっぷりあったにもかかわらず、自分が観たいと期待しているようなシーンがなかなか現れてくれないもどかしさ。

良かったところはいっぱいある。
駅に電車が入ってきた須臾の間に起こるナルニアとこちらの世界との往還。これはラストで、本当に夢から醒めたような気分になった。

トランプキンが溺死させられそうになるところに飛ぶスーザンの矢。バーンと盛り上がる音楽の効果もあるんでしょうが、伝説の四王の帰還!っなノリで燃える。

スーザンの持つ角笛の絵や、四人兄弟の統治が壁画になっているところもいい。彼らの統治した黄金時代が歴史にうずもれ、もはや神話になってしまっているという設定こそが本作のとくに魅力的な要素だし。石舞台が聖所として神殿ふうになっているところなども、やや豪華過ぎたけど、おお〜っていう感慨はあった。傘をさすタムナスさんとルーシーの壁画は嘘くさかったが、まあこの瞬間がナルニアの歴史的にも、作者に最初に宿ったイメージとしても、全ての始まりであり、一つのイコンとなっていてもいい。

エドマンドがかっこよくなってましたね。ジェイディスに昔の借りを返すところ、ミラースに一騎打ちの果たし状を持っていった時の余裕しゃくしゃくな感じもよかった。「自分もいちおう王なんですけどね。わかりづらいよね。ただの王」とか言って。

リープに関する見せ場はほぼ原作通りに用意されていて、リープファンはわりと満足したのではないだろうか。まあ、ああいう喋りかたのねずみをリアルな映像で観るのは、かなりくすぐったいものがありましたが。声はもう少し低い人があてたほうがイメージだったかな。そういえば映画ではねずみ達がなぜ喋れるようになったかアスランの説明ありましたっけ?

戦闘シーンは前作以上に力が入っており、アスラン塚前の決戦では一応戦略的な奇策なども用意されていて、おぉ〜って思うところもあるのだけども、グラディエーターばりに戦うピーターとミラースの一騎打ち、ミナスティリス攻防戦のような派手な戦闘が延々と続くのでややもたれ気味になった。こういう見せ場ももちろんあっていいのだが、もっとまったりした場面もあいだに欲しいというか。

カスピアンは本作ではあまり活躍できなかったのは仕方ないか。原作のイメージよりも年長にしたこともあってか、ピーターとのあいだに確執のようなものがあったのは残念。その原因になったのが、映画オリジナルエピソードのミラースの城への攻め込みだが、これはなくても良かったかなあ。結果的には作戦が失敗に終わることで、古いナルニアの救い主として召還されたピーター達の存在の意味がわかりにくくなってしまった。この戦闘で時間を使うよりは、カスピアンが幼少時代に古いナルニアの話を乳母や博士から聞き、その時代に憧れるエピソードを描いてくれたほうが良かった。

原作からカットされたシーンといえば、アスランは初めはルーシーにしか見えず、だんだん他の兄弟にも見えてくるくだり、あそこはルーシーがアスランに従うか、兄弟を取るかの選択を迫られるところはあって欲しかった気がする。映画のアスランは「一度起こったことは二度と起こらない」となにやら託宣めいた言い方でのたまうけれど、なぜこの台詞に力点が置かれたのか意味がわからなかった。
バッカスのお祭り騒ぎがもたらしていく抑圧されたナルニアの解放は、そのまんま映画にするのは難しそうだったから、まあ川の神とエントばりの森の木の活躍でも良かったか。

個人的にこの映画で一番観たかったのは、懐疑主義VS信仰という構図だったと思う。たとえば「あんな昔話を信じているのか?」というトランプキンの問いに、「わたしたちは忘れたことがない。一の王ピーターそのほかの、ケア・パラベルで国をおさめられたかたがたを信じ、アスランその方をかたく信じている。」という松露とり。こういう「信仰の堅持」の持たらす感動は、「銀のいす」で、にがえもんと緑の魔女とのあいだで交わされるナルニアの存在の信憑性をめぐる問答で劇的に描かれているけれど、それと同じことがカスピアンの生きる時代の精神風土にも言えることだ。

こういう部分をもってして宗教的プロバガンダと批判されるのだけれども、自分にとってナルニアの魅力は本質的に宗教的なものなので、それが描かれていないナルニアはただのよくありそうな異世界ファンタジーになってしまう。1000年以上も昔の神話的出来事を「真実」と信じること、懐疑主義無神論がはびこる世の中で、アスランへの忠誠を誓い、アスランという錦の御旗により集う少数の忠誠者たち、こういう宗教的レジスタンスとでもいう設定に燃えるというか。(もとナルニア側も、懐疑主義者トランプキン、パワー至上主義者ニカブリクなど、決して一枚岩ではなく、彼らの議論をもう少し観たかった。)
そしていよいよ万策尽きたという時に吹かれる魔法の角笛。(映画では角笛吹くの早すぎた。)
そこで現れる伝説の四兄弟の王。
こういう単純なストーリーラインだけでも、亡国の危機に復活すると予言されるアーサー王の帰還もかくやというような神話的感動があると思うし、またそういう映画を期待してしまったのだが、結局のところ、こちらの脳内の妄想と映画スタッフとのあいだに基本的な力点の置き場所でズレがあり、そのズレは最後まであまり重なってくれなかったようだ。