寺島ゴクリの謎

前のブログに書いたポーリン・ベインズ版の地図、部屋のソファの正面の壁にかかっているので、ぼけ〜っとしてるときは嫌でも目に入るのだが、今日たまたま眺めていたら、地図の下の欄外にある Goege Allen & Unwin Ltd 1970 の文字が目に入ってきた。
1970年?あら?「ホビットの冒険」の翻訳ってもっと前じゃなかろうか?そう思って調べてみると、ハードカバーの邦訳本が出たのは1965年となっている。
ポーリン・ベインズ版の地図が最初に世に出た年を確認するためにハモンド氏の Tolkien Bibliography で調べてみたところ、この地図が出版されたのは1970年であるのは間違いないようだ。

とすると、前のブログで書いた「寺島氏はゴクリの絵を描くときに、この地図にベインズさんの描いたゴクリを参考にした」という推理は間違っていたことになる。しかし、この半魚人ゴクリ、偶然似ていたと言うにはそっくり過ぎるので、ベインズさんは1965年以前に、この地図以外の場所でもすでにゴクリの絵を描いていて、それを寺島氏が参考にしたのだろうか。
そこでアンダーソン氏の「注釈ホビット」を開いてみると、ベインズさんは1961年に Puffin 版ペーパーバックの装画を描いていたことがわかる。「注釈ホビット」にはこのPuffin 版の装画写真も載っていて、表紙と裏が一続きになった、灰色山脈の峠を越えていく一行の絵を見ることができるのだが、ここにはゴクリの姿は見られない。この版の中にベインズさんが描いたゴクリがあるのだろうか。しかしその可能性も薄そうだ。装画はともかくペーパーバックの中身の挿絵まで新しく描き下ろすというのはちょっと考えにくいし、もし中にオリジナルの挿絵があるなら「注釈ホビット」で紹介されている様々な挿絵の中に一部紹介されているはずだ。
う〜ん。
どうにもこれ以上は調べる術もなく、寺島半魚人ゴクリ=ベインズ原型説は棚上げにするしかなくなってしまった。

(そういえばハモンド&スカル夫妻は次のプロジェクトとしてポーリン・ベインズさんに関する本を書く予定だとか。その本が出たらこの謎も解明するかしらん。)