七人の侍と指輪物語 

The Encyclopedia of Fantasy という1000ページもある(広辞苑と同じくらいの厚さ)超弩級のファンタジー事典がある。それをペラペラめくっていたら SEVEN SAMURAI という項目が目に入った。「七人の侍」がなぜファンタジー事典に?不思議に思って解説を読んで思わず唸ってしまった。この映画は多くのファンタジー作品の"旅の仲間"の黄金パターンや物語パターンの一つの元型を提示しており、映画と個々の作品のディテールは違っても、たしかに「七人の侍」パターンとでも言えるものが抽出できるという。
以下、本書の掲げるその元型パターンをあげてみると、

一、メンバーは本質的に自由参加、自らの意志でメンバーに加わる。
一、メンバーの使命は往々にして個人的利益を目的としない。
一、メンバー間にヒエラルキーはなく、メンバーに活を入れる鬼軍曹のような者は存在しない。
一、グループは傭兵ではない。(ある者はかつてはそうであり、また使命を達した後はその身分に戻ることはある)
一、彼らはおそらく中心的人物の頼みにしたがって形成され、
一、その中心人物は探求の使命を負っており、
一、その使命はある村―牧歌的なユートピア―を守るためであるか、
一、おそらくは土地そのもの(物語世界全体)を救うためであり、
一、苦境に陥ってる誰かを守るために団結するかもしれない。
一、メンバーのそれぞれは持ち前の技量を示す、
一、それら技量のうち、武勇の腕前はもっとも大事
一、彼らは一種の賤民エリートのような様相を呈し、
一、そのような装いの元に、古く廃れた様式を守り、
一、世界の「希薄化」や冥王の略奪などから世界を守ろうとする。
一、彼らメンバーの一人は大抵「醜いアヒルの子」(おそらく野に下った隠れた王)であり、
一、一人は(おそらく変装してはいるが)魔法使いであり、
一、最近の傾向ではメンバーの一人に女性(女であることを隠して参加、最近では素のままが増えている)が加わる。
そして最後に、
一、彼らは自らが報われることなく、おそらく使命を果たすために命を落としさえすることを知りながらも課せられた任務を達成しようとする。

映画「七人の侍」の、侍たちを一人一人雇っていく長いシークエンスはそのまま多くの冒険ファンタジーの最初の数章に絶大な影響を及ぼしているとか(おそらくはゲームにも)。
「指輪」では旅のメンバーがエルロンドの会議で一気に決められてしまい(しかもエルロンドの采配で)、一人一人仲間が増えていく面白さがあまりないけれど、こうしたパターンを見ていると、ミッション達成のために仲間が終結するストーリー自体に物語として元型的な面白さがあることにあらためて気づかされる。(たとえばRPG型のゲームとか)

「彼らは自らが報われることなく…」というところなども「勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない」という勘兵衛の苦い述懐と、「ホビット庄の安泰は保たれた。しかしわたしのためにではないよ」というフロドの台詞が当てはまるだろうか。
ところで「七人の侍」が公開されたのは「旅の仲間」の原書初版と同じ1954年。
「指輪」が書き進められていたのは1940年代だから実際に創作された時期はズレるけれど、共通するストーリー構造を持っていて、なおかつ20世紀を代表する二つの古典的名作が同じ年に世に出ていたってのも面白い偶然ですね。

The Encyclopedia of Fantasy

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