P.J 映画に関するエッセイ集 (近刊)

この秋、原作研究者の立場から P.J 監督の映画(とその余波)について考察した論文集が出るようだ。
Tolkien on Film: Essays on Peter Jackson’s The Lord of the Rings というタイトルで
出版元はアメリカのインクリングス研究団体のMythopoeic Society 。
紹介記事はこちら。
http://www.mythsoc.org/croft.html

私はつねづね、何十年も原作に親しんできたコアな原作ファンや研究者の人が今回のP.J監督の映画をどんな思いで見たんだろうという悪趣味な(?)好奇心を抱いていて、
アメリカにおけるトールキン協会の趣きもあるMythopoeic Society から本書が刊行されるからには、ゴリゴリの原作至上主義の立場から映画を徹底的に語り倒す-<総括>する-そんな邪悪な想像を一瞬してしまったんですが、各論者の梗概をざっと読んだところでは私が想像したようないわゆる purist 的立場に立っている人は少なく、映画と小説のメディアの違いを踏まえて、それぞれの力点の置き方の違いを考察したものから、映画に刺激された二次創作やファンダムについての文化論的考察、女性の論者が多いからか、原作と映画における女性キャラの扱いについての分析など、なかなかバランスの取れた論文集であるようです。

そういった中で、映画の最初のトイレラーが登場して以来、ずっと映画を批判し続けてきたという David Bratman (この人、Tolkien's Legendarium という論文集に「HoME の文学的価値」という文章を寄稿していて、これ、HoME を読む上でとても参考になりました)が一人気を吐いている様子で、面白いのでちょっと紹介してみたいと思います。

Bratman氏によれば映画それ自体の批評をするさいに邪魔になる、映画を擁護するためにいつも持ち出される論法をまず先に片付ける必要があり、「神学大全」の形式を借りて、それらを一つずつ潰していくのだそうです。
で、擁護するさいの論法がどういうものかというと、

一、映画のおかけで退屈な古臭い本が読みやすくなった(そう。確かにこういう擁護があったんです)
二、映画はハリウッドの要請に従わないわけにはいかない。
三、でも、彼らはとにかく一生懸命やった!
四、映画はあくまでもPJのヴィジョンであって、トールキンのものではない。
五、もっとひどいもんになった可能性だってあるんだからさー
六、部分的には素晴らしいものだったよ。(玉石混交論)
七、映画のおかげで新しい読者が増えたんだし。
八、お前さんはボンバディルがカットされたから怒ってるだけなんだろw
九、完璧な映画化には四十時間の長さが必要だろう。
そして一番お気に入りの論法は、
十、原作は無傷のまま本棚にあるじゃないか。

これら映画そのものを批評するさいに邪魔になる言い分をまず取り除いてから、映画の内実に迫った批評を展開する予定だとか。
どんな批評が展開されるのか、かつ目して待ちたいと思います。